江戸情緒溢れる木曽路の風景が美しい、中山道42番目の宿場町、妻籠宿を散策いたしました。
中山道は江戸時代に整備された五街道の一つとなっており、南回りで太平洋沿岸を通行する東海道に対して、北回り・内陸経由で江戸の日本橋と京都の三条大橋(現在の東京都と京都府)を結ぶ全行程540kmの街道となっております。
そのうちの木曽地方を通る部分を木曽街道または木曽路とも呼び、上四宿、中三宿、下四宿からなる11の宿場が設置され、その総称を木曽十一宿とも呼んでいます。
比較的険しい木曽の山道を通行し、寒さが厳しく降雪量も多い冬場は歩行距離が短くなったにもかかわらず、盛んな往来があったのは、江戸幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが厳しかったのと、箱根峠などの交通難所が多い東海道を避ける意味合いもあったとされている。
そのため、江戸と京都間に設置された宿場町は東海道よりも16宿多い。
昭和期に入ってからは木曽の街並みの保存事業が基本方針となり、1973年には町独自の町並み保存条例である「妻籠宿保存条例」が制定されると、その3年後には「妻籠宿保存地区保存条例」への改正と共に景観保全活動に取り組んだことが評価されて、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地になりました。
現在は隣接する馬籠宿と共に歴史の面影を残す木曽路を代表する観光名所として人気が高く、外国人も含めた旅行者が多く訪れています。
冬の中山道・江戸情緒溢れる木曽路の街並み 妻籠宿の風景 長野県南木曽町の観光

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